FPの介護実践記① 相続・終活の盲点。子どものいない伯父夫婦に「もしも」が起きた日
この「FPの介護実践記」は、ファイナンシャルプランナーである私が、FPとして、そして家族として介護と向き合う中で感じたこと、迷ったこと、考えたことを記録しているシリーズです。
制度やお金の話だけでなく、現場で起きたことや感情の揺れも含めて、「もし自分だったら」と考えるヒントになればと思っています。

はじめに:介護はある日突然、容赦なくやってくる
「いつか来る」とは思っていても、介護には準備期間がありません。
伯父の三回忌を終え、振り返ってみて改めて思うのは、介護は「待ったなし」で始まるということです。
FPとして多くの方の終活に携わっていますが、この日ばかりは、一親族としてその過酷な現実を突きつけられました。
伯父夫婦の日常:週1回のデイサービスと、伯母の「一人介護」の限界
子どものいない伯父夫婦。
認知症の伯父を、しっかり者の伯母が一人で支えていました。利用していたのは、わずか週1回の半日デイサービスだけ。
それ以外は、老老介護の二人の世界でした。
伯母は自分の不調を後回しにしてでも、伯父を守ろうとしていたのかもしれません。その静かな無理が、限界に達しようとしていました。
運命の電話:伯母の救急搬送で崩れた、二人だけの生活
2017年11月、平穏な日常を一変させた一本の電話。
伯母が倒れ、救急搬送されたのです。
伯父夫婦の緊急連絡先になっていたのは、私の母(伯父から見たら妹です)。母は甲府に住んでおり、翌日、もう一人の伯父と一緒に東京に向かうと連絡が入りました。
伯父夫婦の一番近くに住んでいるのは私でした。夫に事情を説明し、伯母が搬送された病院に同行することにしました。
伯母の病状について主治医の先生から説明があったのち、
病院側から告げられたのは、「今後の連絡窓口(キーマン)を誰にするか」という問いでした。
伯母の病院に行くと決めたときから、 「今後は私が二人をみていくんだろうな……」 と、どこかで覚悟はしていました。
集まった親戚は、伯母のいとこが3人、甲府に住む私の母と母の兄、そして近隣市に住む私。一番若いのも私でした。
その場で私は「やります」と手を挙げました。
私はこう伝えました。
「知的障がいのある子どもがいるので時間に制限があります。 急に何かして欲しいと言われても、すぐに対応できるか分かりません。それでも良いですか?」
これが、1年8ヶ月に及ぶ介護生活の幕開けでした。
現場の混乱:緊急ショートステイ先での再会と「環境の変化」の恐ろしさ
病院から、伯父が待つ緊急ショートステイ先へ向かいました。
久しぶりに会う伯父は、私たちのことがすぐには分からない様子でした。どんな部屋に泊まっているのか案内してもらい、「着替えはどうなっているの?」など質問しましたが、伯父の返事は要領を得ません。
大好きなおやつを食べながら、少しずつ会話が戻ってきましたが、環境の変化は認知症の症状を加速させます。
実の兄と妹である私の母たちも、伯父の変わりように大きなショックを受けていました。
長い一日の終わりに:疲労困憊で起きた想定外のトラブル
伯父の世話をし、甲府から日帰りで駆け付けた母と伯父を、甲府行の特急に乗せて見送りました。
長い長い1日でした。母は70代、伯父は80代。二人とも相当疲れたはずです。
ようやく帰宅……と思いきや、甲府に帰った母から「携帯がない」との連絡が入りました。今日行った病院や施設に連絡してみると、施設から駅に向かった際に、タクシーの中に落としてしまったことが分かりました。
夕食後に夫に子どもたちのお風呂などをお願いして、電車を乗り継ぎ、タクシー会社まで回収に向かう道中、体も心もぐったり。
介護の始まりは、体力的にも精神的にも、文字通り「ボロボロ」からのスタートでした。
この出来事から考える「終活と介護のヒント」
【1】「一人で抱え込む介護」の危うさを知る
週1回のデイサービスだけで支える生活は、どちらかが倒れた瞬間に共倒れになります。
外部サービスを増やすことは、本人のためだけでなく、今回のような緊急時に「情報を知っている味方」を増やすことにつながります。
【2】キーマン(窓口)を誰が担うかを考えておく
子どものいない世帯の場合、緊急時に誰が動くかを親族間で緩やかに共有しておくことは、最大の終活であり、本人の生活を守るための防波堤になります。
【3】自分の「事情」は、先に伝えておく
介護を引き受ける際、私は「障がいのある子がいて動けない時もある」と伝えました。
100%の力を出し続けないことが、介護を長く続けるための大切なポイントです。


